地元民ライターが国鉄瀬棚線の歴史をたどってみたシリーズ、ついに神丘駅(かみおかえき)編!
今金町内の駅跡地をめぐり、残すはあとひとつ!
神丘駅の跡地、現在のようすは…!?
今までのお話はこちらから↓
神丘地区ってどんなところ?
市街地から西側、国道230号線をせたな町方面に進むと神丘地区へ。
神丘地区はその名の通り、広い丘が続いているよ。
どうして「神丘」って名前なの?
神丘地区は、今金町でも古くから開拓された場所。
1891年に志方之善(しかたゆきよし)氏や丸山要次郎(まるやまようじろう)氏たちが移住し、神丘の開拓を進めていったよ。
志方之善氏の奥様は
日本初の女医荻野吟子氏だよ
日本初の女医さん!?
かっこいい~!!
それから2年後、キリスト教団が集団移住。
この場所をインマヌエルと名付け、さらに開拓を進めていったんだ。
ちなみに、「インマヌエル」とは?
ヘブライ語で
「インマヌ(我らとともにいる)」と
「エル(神)」の2つの言葉を組み合わせた名前なんだ
つまり、「神は我らとともにいる」という意味なんだって。
原生林をひとの力でひたすら開拓していく。
その苦労を想像すると、こみ上げてくるものがあるね。
神丘に移り住んだ人々を支えたのは、「神は我らとともにいる」という思いの強さだったのかもしれないね。
参考文献:今金町教育委員会発行「わたしたちのいまかね」
神丘駅跡地の現在のようす
さっそく神丘駅の跡地へ。
田畑が広がる中に…あった!
しつこいくらい言ってるけど、マジで勝手に農地に入るのは絶対にダメったらダメ!!
農作物の品質を悪くしたり収量低下を招く「センチュウ」が、人の足を介して土壌から土壌へ移ってしまうよ。
この写真は離れたところからズームで撮ったぞ
農道のそばにちょっと盛り上がった部分があるね(木が生えているところ)
このあたりが神丘駅のホームだったんだとか。
手前のオンコの木も、駅が運営されていた当時から生えていたらしい。
このあたりは、あちこち田畑になっている。
だから、本音を言うと多くの方に訪れてはほしくない…。
土壌の微生物やセンチュウの問題があるからね。
神丘地区は、今金町内でも有数の農業地域。
だから、大切な大地を守っていけたらいいな。
もし神丘駅跡地を見てみたい!と思った方は
マナーを守って見学してほしい…
メガじーちゃんとの約束な!
あたたかな祈りの空間!インマヌエル教会
神丘駅跡地から西側へ少し行くと、インマヌエル教会があるよ。
1896年、インマヌエル教会が建てられたよ。
現在の建物は3代目。
初代教会は現在の場所とはちがうところにあり、草葺きの建物だったとか。
後志利別川で何度も洪水が起こりそのたびに被害にあうので、今の場所に移転したんだって。
去年「春の今金文化財めぐりバスツアー」に参加し、中に入らせていただいたときの写真だよ↓
あたたかな祈りの空間。
木のぬくもりを感じられる、優しい場所だよ。
なんだろう…ふしぎ
ここにいると心が落ち着くね
開拓時代から
神丘のみなさんの心のよりどころだったんだね
そしてエピローグへ…
これで、今金町内6つの駅跡地をコンプリート!
うれしくて、喜びに浸っていたら。
リリオ
俺を北住吉駅跡地まで連れてってくれ
突然どうしたの?
メガじーちゃんに頼まれたから、みんなで北住吉駅跡地に向かったんだけど…。
つづく