「瀬棚線シリーズ」を書き終えた、ある日。
メールが来てる!どれどれ…
って、ええええーっ!?
なんと!ひ~さんから今金にあった鉱山と人々の暮らしが知りたい!とのリクエストが届いたよ。
うああああああありがとうございます!!
ということで、「今金町の歴史探訪シリーズ」第2弾!
宝の山を探せ!今金町美利河・花石の鉱山と暮らし、はじまりはじまり~!
3つのお宝!メノウ・マンガン・砂金
まずは、今金町で産出された鉱物について。
瀬棚線シリーズ美利河駅のお話でも少し書いたけど、美利河・花石エリアはメノウ・マンガン・砂金が採れたんだ。
独特のしま模様が美しい、メノウ。
原石のままもステキだし、アクセサリーや置物に加工してもいいね。
乾電池の素材でもおなじみのマンガン。
じゃがいもの肥料にも使われていたりするよ。
小さくても輝きを放つ、砂金。
川底に眠るお宝は、今も昔も人々を魅了してやまない。
※イメージ画像です
今金町の「3つのお宝」の歴史を年表形式にしてみたよ
松前藩によって、美利河・花石にて砂金採掘がされる。
箱館奉行が鉱山を開発するため美利河に金山役所を設置。佐渡から金を掘るスタッフを招き砂金を採掘する。
美利河マンガン鉱が発見される。
大島勘左衛門氏が美利河でマンガン・メノウの採取をはじめる。
雨宮敬次郎氏が美利河・花石にスタッフを集め砂金をとる
篠田堅二氏が花石に移り砂金をとる
花石地域特産品生産センター開業・メノウの加工を行う
花石地域特産品生産センター閉鎖
参考文献:今金町教育委員会発行「わたしたちのいまかね」
最近まで鉱物の産業があったんだ
ピリカ遺跡まつりで「メノウ磨き体験」をやっただろ?
鉱物を採取して加工するのはかんたんなことじゃないんだぞ
ゴールドラッシュ!美利河地区のにぎわい
手がかりを探すために、ピリカ遺跡にある文化財保管・活用庫(以下、保管庫)に行ってみたよ。
保管庫には、昔の道具がいっぱい!
砂金採りで使われた道具や、マンガン鉱山で使われたエンジンなどもあるよ。
保管庫の一角に、昔の地図があったよ。
※プライバシー保護のため一部加工しています
この地図は、昭和4年~10年頃の美利河のようすらしい。
仕事を求めて全国各地から移住者が集まったんだって。
美利河駅があるよ!
トロッコの線路や商店、鍛冶屋もあったんだな
鉱山専従のお医者さんもいたんだね。
多くの人がいたから、「高台地区」「川向地区」など細かくエリア分けもされていたみたい。
1902年時点ではマンガン採掘に携わる人とその家族で人口1000人を超えていたそうだよ
当時の今金市街地よりもにぎわいがあったとか
今では想像もできないほど、美利河エリアはにぎわっていたんだね。
次回予告
本当は、この記事に全部まとめようと思ってたのね。
花石地区の昔のようすを知ることができる資料を調査したいんだけど、資料がある場所がいつでも入れるところじゃないから予定変更(笑)
次回は、鉱山と暮らし:花石編を投稿するね。
調査の時期にもよるので気長に待っててほしい
次回もお楽しみに~!
ちなみに…「今金町の歴史探訪シリーズ」第3弾のテーマは…?
もう決めてあるよ
テーマは今金町の馬頭観音さんと牛魂碑だよ
農業のまちを支えてくださるスピリットへのリスペクト、リリオさんなりに形にしたくて…楽しみにしていてね。