リクエストにお応えして書きはじめた、地元民ライターが国鉄瀬棚線の歴史をたどってみたシリーズ。
第1回目、イントロダクションはもう読んでくれたかな?
今回は、美利河駅(ぴりかえき)について調べてきたよ。
美利河地区ってどんなところ?
リリオさんの仕事先が数か所出てくるので、とくに今回の記事はPR要素強めです。
今金町の一番東側に位置する、美利河地区。
国道5号線や道央自動車道に最も近いエリアで、今金町の玄関口とも言われているよ。
地名の由来は、アイヌ語で「美しい川」って意味を持つ「ピリカベツ」という川から。
農業のまちの今金町だけど、じつは美利河地区には農家さんが少ない。
土地柄、稲作・畑作にはあまり向かないエリアらしい。
昔は鉱物資源が豊富にあった。
メノウ・マンガン・砂金が採れ、一時はゴールドラッシュでにぎわったんだ。
美利河地区は、今金町の中でも観光に特化したエリア。
このブログの読者さんにはおなじみの(?)ピリカ遺跡があるね。
ピリカ遺跡のそばに、美利河ダムがあるよ。
- ピリカベツ川
- ニセイベツ川
- 後志利別川
- チュウシベツ川
これらの川からダム湖に水が流れ込み、そこから後志利別川としてせたな町の河口まで続いていくんだ。
美利河ダムは、1991年に完成。
じつは、じーちゃんも美利河ダム建設に携わっていたよ。
重力式コンクリートダムとロックフィルダムの複合ダムで、ダムの長さ(堤頂長)が1,480mもある。
川を横断して作られたダムとしては、日本一長いんだ。
昔むかしは、水害が多かったそう。
木造の橋が何度も流された、って話を聞いたことがあるよ。
美利河ダムは治水や水力発電
かんがい用水の用途のために造られたんだよ~!
さすがトシ!
解説ありがとう!
このあたりで治水のお仕事をしている(らしい)、イセポ博士の友だちトシちゃん(15429歳)が教えてくれたよ。
それじゃあ
美利河駅のあったところまで行ってみよう!
参考文献:今金町教育委員会発行「わたしたちのいまかね」
美利河駅跡地現在のようす
美利河駅があったところに来てみたよ。
草と木が生い茂ってる…
このあたりに、美利河駅があったらしい。
残念ながら、形に残されているものはなにもなかった…。
「クアプラザピリカ」の看板が貼られた倉庫の隣に、青山商店っていうお店があったよ。(下の画像参照)
コンビニみたいな感じのお店だったよ。
瀬棚線が廃線になっても、しばらく営業していたんだ。
そういえば、青山さんで飲み物やおにぎりを買ってお出かけしたな。
いつの間にか解体して、今は土台しか残ってない…。
目の前を横断している道路は、国道230号線だよ。
ここを左に曲がり少し進むと美利河ダム、右に曲がると美利河ダム管理支所やピリカ遺跡があるんだ。
昔はもっとにぎわっていたんだろうな…
ダムが完成した頃はあちこち開発されて
さまざまな施設もあったんだが
リリオさんが小学生だった頃は、美利河ダム付近にゴーカートやテニスコートがあったんだ。
今は面影すら残ってないけど…。
ここで買える!瀬棚線グッズ
美利河駅跡地から、南西方向に伸びる道を行くと…。
緑に囲まれたリゾートホテル、クアプラザピリカがあるよ。
クアプラザピリカの売店で、瀬棚線の駅名標をマグネットにした「駅プレ」が販売されているよ。
茶屋川駅~瀬棚駅まで、10種類が販売中。
懐かしいなぁ…全種類ほしい!
クアプラザピリカは、スキーとキャンプが楽しめるアウトドアスポット。
レストラン加味丘diningでは、東京で腕を振るったシェフが作るイタリア料理が味わえるよ。
温泉から見える景色は格別!
瀬棚線遺構めぐりの際は、ぜひ立ち寄ってみてね。
次回予告
次回は、お隣花石駅(はないしえき)を調査するよ。
今金町の中でもとくに過疎化が進んでいるエリア、昔は衝撃的な地区名だった…!?
次回もお楽しみに~!